スーパー32x仕様

スーパー32x仕様

32x

メガドライブ、メガCD、スーパー32xを合体させるとこうなります。3重の塔ですね。

ACアダプターの数も凄いことにw

  •     CPU SH-2(23MHz/20MIPS) × 2
  •     RAM 2Mbit
  •     VRAM 2Mbit        同時発色数 最大32768色    10-bit PWM音源 2ch
  • メガドライブ(FM音源 6ch+PSG 3ch+ノイズ 1ch)との合計で 12ch       
  • メガドライブとメガCD(PCM 8ch)との合計で 20ch
  •     寸法 107 × 205 × 110 mm
  •     重量 495 グラム

スーパー32Xを接続することで、メガドライブが32bitゲーム機になる。

セガサターンと同様、メインCPUとして32bit RISCのSH-2を2個搭載しており、メガドライブのロムカセットスロットに差し込み、同梱の中継ケーブルを接続して使用する。

スーパー32Xを接続した状態からでもメガドライブ・メガCDの両ソフトを使用可能。

プロモーションの失敗とセガブランドの失墜

北米でトップシェアを誇ったGenesis(北米版メガドライブ)の延命と、当時の北米でのライバル機であった任天堂・SNES(北米版スーパーファミコン)に対するアドバンテージを企図してセガ・オブ・アメリカの主導でリリースされたものである。

しかし、既にメガドライブの次世代機サターンを開発していたセガ日本本社との齟齬が生じ、マーケティングの混乱を招いた。

日本ではそもそもメガドライブ自体が普及していなかったために32Xは普及せず、また欧州と南米ではメガドライブ自体は普及していたものの、32Xは現地価格でそれほど安価ではなかったためにやはり普及しなかった。

一方、GENESISが最も普及していた米国市場において32Xはかなりの普及を見せ、そしてその悪評のために、それまでアメリカで大きな支持を受けていたSEGAブランドは致命的なダメージをうけた。

結果としてSEGAはGENESISで獲得した市場を、セガサターンで得られるはずであった市場もろとも失うことになった。

1990年代前半、日本で1994年末に発売予定の”Project Jupiter”と称するカートリッジベースの次世代機の開発が進行していたが、CD-ROMベースの次世代機(後のSaturn)の計画に変更されることになり、Jupiterの開発は中止された。

その後、Jupiterはセガ・オブ・アメリカ主導で、カートリッジベースのGenesis用周辺機器として開発しなおすことになり、”Project Mars”と命名された。

ソフトウェア供給はスーパー32X専用ROMカートリッジに加え、32XとメガCDを同時に使用するスーパー32XCD用CD-ROMを予定していた。スーパー32XCD用ソフトは欧米とブラジルでのみリリースされ、日本国内では発売されなかった。

日本では1994年12月、セガ本社主導によるサターンのリリース(1994年11月)の翌月にスーパー32X(Sega Genesis 32Xの日本名)がリリースされた。

北米と異なり両機が同時に発売された日本では、次世代機サターンがローンチ時点では高価だったため、価格が落ち着くまでの期間は既存の16bitプラットフォームを活用して32bitへの安価なアップグレードを行うという位置づけであったが、日本市場においてはそもそもメガドライブがあまり普及しておらず、周辺機器としてもそれほど安価ではなく、セガ日本本社としてもスーパーファミコンに大敗した旧世代機メガドライブのアップグレード機器であるスーパー32Xの販売拡張には消極的であり、1994年後半よりプレイステーションとの次世代機戦争が始まったサターンのプロモーションに完全に隠れてしまい、結果として32Xは普及しなかった。

1994年後半における日本の代表的なメガドライブ専門誌であった『Beep!メガドライブ』誌のみは32Xをサターンと同じくらい大々的に取り上げていたが、同誌もサターンの発売と同月の1994年12月発売号より「セガサターンマガジン」と誌名を変更し、サターン専門誌となった。

米国市場においては1994年11月に発売された。

ローンチタイトルこそ少なかったものの、『スペースハリアー』、『アフターバーナーII』、『バーチャレーシング』、『モータルコンバットII』の史上初のコンシューマ完全移植が用意された。セガ・オブ・アメリカがサターンの発売を遅らせてまで32Xのプロモーションを仕掛けたことと、北米で2000万台ほど普及したトップシェアハードであるGenesisの周辺機器ということもあって、クリスマスまでに50万台を売り上げた。

Atari Jaguarや3DO(共に北米で1993年発売)と言った「次世代機」が軒並み苦戦していたことと、SNESを擁するライバルの任天堂が1994年の年末商戦で目玉としたのが次世代機ではなく『スーパードンキーコング』だったこともあり、セガ・オブ・アメリカはもうしばらく現行機の時代が続くと考えていた。

シェアで猛追するSNESをGenesisのアップグレードで振り切るためにもセガ・オブ・アメリカは32Xに非常に力を入れており、Sega Neptuneと称するGenesisと32Xの一体型機をも開発していた。

当初は1994年から1995年の間にUS200ドルでリリース予定で、旧来のGenesisを完全に置き換える方針であったが、1995年の春に完成したプロトタイプ機は予価US400ドルと、価格がサターン並みに跳ね上がった。

一方で、既に北米のゲーマーにはサターンとプレイステーションによる日本の次世代機戦争の噂が届いており、SNESやGenesisなどは眼中に無かった。

そのため、セガ・オブ・アメリカは方針を転換。

32Xの販売拡張を切り上げ、急遽日本本社が開発したサターンを投入することとなる。

1994年の年末商戦の時点でサターン一本に絞ってプロモーションを行った日本に対し、北米では1995年の春の時点でいまだGenesis、Sega CD、32Xの3機種のプロモーションが平行しており、セガ・オブ・アメリカはローンチ前にサターンの十分なプロモーションが出来なかった。

しかも、セガ・オブ・アメリカはセガサターンの発売を当初の予定の9月から急遽5月に早めたため(5月に開催されたE3にて突然「今週の土曜(SaturnDay)」と発表)、9月発売を目指してゲームを製作していたサードパーティはローンチにソフトをそろえることが出来ず、サターンはローンチに失敗した上に北米の有力サードパーティからの反感を買った。

1995年5月、北米でセガサターンが発売された。サターンのローンチ後は北米のほとんどのサードパーティは32X用ゲームの開発を中止しサターン用ゲームの開発に切り替えたため、北米における32Xのソフト不足は最後まで解消しなかった。

また、セガは32Xを「32bit級」の性能であると主張していたが、セガサターンやプレイステーション(北米で1995年9月発売)などの次世代32bit機が北米で出揃うにつれて、特に3D性能における32Xの性能不足が明らかとなった。

同時期の日本では32Xがまったく売れておらず、一方でサターンが急速に普及していたため、32Xのリリースから1年も経たない1995年10月、セガの日本本社の中山隼雄社長はサターンに力を集約するため、32Xを含む旧世代のセガハードの生産を終了することを発表。

同時期のSNESにおける『スーパードンキーコング』に相当するキラータイトルが存在しないまま、アメリカの32Xユーザーは切り捨てられ、同時にGenesisユーザーもサターンへの移行が不十分なまま切り捨てられた。

結局、全世界でスーパー32X用にリリースされたソフトは、スーパー32XCD用ソフトを含めてわずかに34本であった。

32Xはソフトの少なさ、次世代ゲーム機と比較しての性能の低さ、性能の低さに対して価格の高さ、ハードのライフスパンの短さ、そしてそのアメリカにおける普及率の高さによって、世界最大のゲーム市場であるアメリカにおけるセガのブランドマーケティング戦略に致命的なダメージを与えた。

欧州各国でのサターンの発売は北米よりさらに遅れる。

北米以外の海外市場でも、サターンを推すセガ日本本社と、32Xを推すセガ・オブ・アメリカの方針が食い違う中でマーケティングは混乱し、サターンと32Xは共倒れとなり、プレイステーションとNINTENDO64に海外市場を奪われる結果となった。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする